【連載】ものづくり教授の現場探訪(第5回)

これまでに4,000を超える工場の現場を訪問してきた、中小企業のものづくりのスペシャリストによる連載コラムの第5回です。本連載では、日本の町工場のものづくりの現場探訪を分かりやすく解説します。
 解説は、政策研究大学院大学 名誉教授 橋本 久義 氏です。

©2024 Hisayoshi Hashimoto | All rights reserved.
(本コンテンツの著作権は、橋本 久義 様に帰属いたします。)

【第5回】たった一人の板金工場から、革新的なアイディアと技術力で急成長を遂げ、その後、ものづくりベンチャーの援助に汗を流し続ける町工場の社長=浜野慶一さん

 数多くの社長にお会いすると、波瀾万丈の人生を送ってこられた方が沢山おられてビックリするのだが、「メチャクチャな困難の中から復活され、しかも仲間のためにこんなに貢献されている社長は他にはいない!!!!」 と心底から感心しているのが東京都墨田区にある浜野製作所の浜野慶一社長だ。

浜野慶一 株式会社 浜野製作所 代表取締役 CEO

略歴
1962年東京都墨田区生まれ、1985年東海大学政治経済学部経営学科卒業、同年都内板橋区の精密板金加工メーカーに就職。1993年創業者・浜野嘉彦氏の死去に伴い、(株)浜野製作所 代表取締役に就任、現在に至る。

 浜野製作所は1978年に先代の浜野嘉彦氏が金型工場として設立。慶一さんが二代目社長に就任するまでは、職人さん二、三人の零細企業だった。慶一さんは東海大学卒業後、修業のため某町工場で働いていたが、1993年父上が他界した後社長となった。
 時はバブル崩壊期。しかも東南アジアへの生産移転が活発になっていた中での、苦難の船出であった。父親が亡くなった2年後に母親が病気で他界し、更に唯一残っていた職人さんが高齢でリタイアをし、一時期は一人で仕事をしていたという。 流石に一人では厳しいのでハローワークで募集をしたところ、1年2ケ月間、全く応募がなく、1年2ケ月後にやっと『一人面接に行きます』と連絡があったが、その人も、会社の前まで来ながらも、あまりにもみすぼらしい会社の姿を見て、面接を受けずに帰ったという事もあった。


 慶一さんが継ぐまでは量産品の下請け生産が中心であったが、慶一さんの時代になって精密板金の分野に転身することに決め大胆な設備投資を敢行。新規顧客獲得に乗り出した。
 ところがどういうめぐりあわせか、2000年にもらい火で工場が全焼してしまう不幸に見舞われた。
 しかしその時の浜野さんの行動がすばらしい。消防車が走り回っている真っ最中に近所の不動産屋に駆け込み、「今燃えているのは私の工場です。そこにはお客様におさめなければならない製品や、大事な製造設備があります。鎮火したあと作業する場所が必要なのです」と頼みこみ、ウーウージャンジャン大騒ぎの最中に仮工場の賃貸契約を結んだという。おかげで火災による納期遅れもわずかで済んだ。
 一時は多額の借金を抱えることになったが、慶一さんの努力もあって顧客も拡大し、何とか軌道に乗せることに成功した。しかし経営は苦しい。頼みは失火賠償金だった。失火元は有名な上場企業であったし、担当者も誠実そうだったから安心していた。その後交渉がまとまり、「○○日の朝、損害賠償金にかかわる契約を結ぶので御来社下さい」という日の前日、お弁当を食べながら昼のテレビを見ていたら、補償金を払ってくれるはずの会社が倒産したとのニュースが流れていた。(涙)
 絶望の中で、仕事をこなす毎日だったが、バブル崩壊後の長期不況で、いよいよ行き詰まってしまった。ある夜遅く、慶一さんが工場に戻ると、工場に電気がついている。不審に思って入ると、最後まで残ってくれたたった一人の従業員が必死で仕事をしていた。その後姿をみたら、金岡君が気の毒で、可愛そうで、自分自身も情けなくなって、思わず駆け寄って「金岡、もうやめよう・・・この会社の後始末は俺一人でやるので、もう手伝わなくて良い。明日から他の会社に行ってくれ。今まで、本当に有難う」と言ったところ、「社長、何をおっしゃるんですか! 私は浜野慶一という人と一緒に働きたいからここにいるんです」という返事が返ってきたという。(涙)こう言わせる魅力が慶一氏にはあったということだろう。
 その後の鬼神も驚くほどの努力で何とか工場を維持してきたが、当時は日本経済絶不調。仕事が少ない。しかしそこは、一枚上手の慶一社長。
 わずかながら発注される仕事を分析してみると、零細企業に発注される仕事は「めちゃくちゃ値段が安い仕事」か「めちゃくちゃ難しい仕事」か「信じられないほどの短納期の仕事」の3種類しかない。 値段が安い製品は、経営を圧迫する。難しい仕事はそもそもできない。しかし、「短納期の仕事」なら、寝ずにがんばればできるじゃないか! と、短納期にチャンスを見出し、「どんな特注品も翌日配達します」と宣伝を始めた。
 この短納期戦略は見事に当たり、取引先が別の取引先を紹介するという具合で、三、四社だった取引先があっというまに数十社に増えた(今では6800社にも上る)。今日受注・明日納品という厳しい納期でも喜んで引き受けた。従業員が夕方残業し、その後を浜野社長や金岡常務が引き継いで仕上げ、明け方完成ということもしばしばあった。
 こうして火事で焼け出された会社が立派に立ち直り、新しい工場を新築できるようになった。


 東京都墨田区の下町にある赤、青、黄色を多用した2棟の建物。これが㈱浜野製作所だ。「赤い方が本社で、黄色い方がプレス工場です。近所の皆さんは、カラオケボックスだと思っている人も多いのですが……」と浜野慶一社長。お願いした建築会社の奥様がデザインの仕事をされていたので「3Kのイメージしかない町工場ですが、ものづくりは誇り高い仕事で、町のおもちゃ箱、玉手箱のような存在だと思うので、おもちゃ箱をイメージした建物にしたい」と依頼したという。
 事業が順調に拡大していったのは交友関係の広さと、社長の好奇心にもある。

2000年完成 旧板金工場
2003年完成 プレス工場


 その交遊関係の広さの成果の一つが深海探査機「江戸っ子一号」の開発だ。かつて東大阪の町工場が作った人工衛星「まいど一号」が有名になったが、「大阪が宇宙なら、こちとらは海でい!!」と、首都圏の町工場が協力して深海探査機を開発した。これはガラスボールの中に、電源・照明・カメラ・記録装置等々をセットして、錘で沈め、沈む過程で周辺を撮影し、その後 錘を切り離して海上に浮かび上がるので、それを回収して録画記録を調べるというもの。今まで日本海溝で8000m、マリアナ海溝12,000mの撮影に成功している。大型のダイオウイカの撮影に成功し、テレビで報じられるなど、珍らしい深海生物の撮影に成功している。
 ㈱杉野ゴム化学工業所の杉野社長、浜野社長達の中小企業が、海洋研究開発機構、芝浦工業大学、東京海洋大学等の支援も受けて行ったものである。人間の乗る探査船は百億円近い費用がかかるが、この方式は千万円のオーダーで実験可能。

江戸っ子1号

 火事被災のどん底から今日の成功を築き上げた浜野社長の力には感心するが、それ以上に感心するのは、その成功の成果を後輩達の育成に注ぎ込んでいることだろう。その集大成として2014年にものづくりのためのイノベーション拠点となる「Garage Sumida(ガレージスミダ)」を開設した。社会課題の解決に情熱と気概を持って取り組む挑戦的若者=ベンチャー達に、研究開発の場所を提供し、場合によっては浜野社長はじめ従業員がアドバイスするなど、機器の製造に協力するシステムだ。浜野社長はいう「最初の1社・2社はお手伝い程度に安価で製作をしてあげておりましたが,ボランティアでやると結果として続かないので、ビジネスにする仕組みと仕掛けをやって来た事がガレージすみだが他の町工場の取り組みと異なる点だと思います。」
 Garage Sumidaがベンチャー企業や大企業から受けた新規事業の相談やプロジェクトの数は、これまでに450社を超える。次世代型電動車椅子のWHILL(ウィル=小さな車が24個ついて、階段等が上りやすい)を開発する「WHILL」、遠隔操作型分身ロボットOriHime開発のオリィ研究所、風力発電のチャレナジー等々、夢が実現しつつある企業も多い。
 しかし多くのスタートアップ企業を支援する中で学んだのは、「ものの作り方」の支援だけしていても限界があって、事業計画や資金調達などの総合的な計画も同じほど重要であることだという。
 いずれにせよ、浜野製作所の多方面にわたるスタートアップ企業支援活躍が評判になり、2018年には当時の天皇陛下(現上皇陛下)が見学に来られ、また 2019年6月には全世界の中小企業の中でも、興味深く。先進的な活動をしているとの事でニューヨークの国連本部で浜野製作所の活動報告をしたという。

現在のガレージスミダ

 また浜野製作所の状況も大変化している。
 一つは、大企業からの新規事業創出の依頼が同社に舞い込むようになり、更に今では大企業のエンジニアが浜野製作所に出向するまでになっているという。
 従業員採用面でも一橋大・慶応大・早稲田大・等々の新卒が応募してくれるようになり、特に高等工業専門学校出身の新卒メンバーが全社員の1/4(25%)を占め、開発の最前線をになっているという。
 製造品目も変化しており、変わったところでは、JAXAからの依頼で、国際宇宙ステーション(ISS)内の移動ロボットを開発中。また2029年打ち上げ予定の月面探査機ルナクルーザー用の機器も担当している。
 現在の主な仕事は開発系・設計系であり、特に宇宙開発系の案件が約30%を占め、純粋な部品加工の仕事は全体の20%程度にという。

 まだまだ若さ一杯の浜野社長は、スタートアップ企業を育てながら、これからも浜野製作所を力強く育てていくだろう。

(上図)ガレージスミダの開発作品の一部

株式会社 浜野製作所 受賞歴
2003年 墨田区優良工場『フレッシュゆめ工場』モデル工場に認定
2007年 じょうとうIT経営大賞 優秀賞受賞
2007年 東京商工会議所主催 第5回「勇気ある経営大賞」優秀賞受賞
2008年 経済産業省主催「中小企業IT経営力大賞」IT経営実践認定企業に選出
2008年 東京都中小企業ものづくり人材育成大賞奨励賞受賞
2009年 経済産業省 ものづくり中小企業製品開発等支援補助金 申請案件採択
2011年 東日本大震災・復興・復旧 経済産業大臣表彰
2011年 東京都経営革新計画奨励賞 受賞
2014年 経済産業省「おもてなし企業選」選出
2014年 第43回 日本産業技術大賞 審査委員会特別賞受賞(江戸っ子1号)
2014年 海洋立国推進功労者表彰(内閣総理大臣表彰)受賞
2015年 経済産業省「攻めのIT経営中小企業百選」選出
2016年 グッドデザイン賞受賞(江戸っ子1号ビジネスモデル)
2017年 文部科学省 「青少年の体験活動推進企業表彰」受賞
2017年 ゴールデン・ピン・デザインアワード(台湾)受賞
2018年 厚生労働省 若手技能者人材育成支援事業「地域発 いいもの」選定
2018年 経済産業省 「地域未来牽引企業」認定
2018年 経済産業省 第7回ものづくり日本大賞 経済産業大臣賞 受賞
2018年 経済産業省 はばたく中小企業300選 選出
2018年6月15日 天皇陛下 浜野製作所 行幸
2018年6月27日 ニューヨーク国連本部にてスピーチ
2021年2月26日 第13回 経営者環境力大賞 受賞
2023年12月9日 日本ベンチャー学会 第9回 松田修一賞 受賞
2024年1月15日 総理官邸にて岸田総理・斉藤経済産業大臣との座談会に出席

浜野慶一 代表取締役 CEO 経歴
経済産業省 地域キーパーソン会議 委員
経済産業省・関東経済産業局 東京オリンピック・パラリンピック検討会 委員
経済産業省 第4次産業革命(インダストリー4)RRI AG委員
経済産業省 中小企業政策審議会 中小企業経営支援分科会 委員
小池東京都知事座長 東京の中小企業振興を考える有識者会議 委員
東京都教育庁 高度IT社会の工業高校に関する有識者会議 委員
日本経済調査協議会 委員
日本商工会議所 IoT・AI・ロボット活用専門員会 特別委員
東京商工会議所 ものづくり推進委員会 委員
東京商工会議所 新事業・イノベーション創出委員会 委員
東京商工会議所 墨田支部 副会長
東京商工会議所 墨田支部 地域活性化委員会 委員長
深海探査ロボット艇開発プロジェクト「江戸っ子1号プロジェクト推進委員会」副委員長
墨田区観光協会理事
東京東信用金庫主催の若手経営者塾「ラパン」塾 最高顧問
情報経営イノベション専門職大学(IU大)客員教授
全国中小製造業ネットワーク「Monozukulink.net」 副会長
スミファ(すみだファクトリーめぐり)実行委員会 委員長
社団法人 配財プロジェクト 代表理事
財務省 東京財務事務所 地域の担い手となれるキーパーソン
中小企業基盤整備機構 Tip’s アンバサダー
中小企業基盤整備機構 認定 中小企業応援士
新日本フィルオーケストラを応援する会 会長
郡山オープンファクトリー アドバイザー
八王子市オープンファクトリー アドバイザー
川崎市 kawasaki-NEDO innovation Center マッチングコーディネーター
ひがしんファンド 顧問 投資委員会 アドバイザー

これまでのコラム

第1回 日本の町工場は人材育成工場
第2回 継ぐ者、継がれる者
第3回 会社を成長に導く社長の共通項とは
第4回 伸びる会社の社長は他人の能力を正しく評価し、活用できる

筆者紹介 橋本 久義(はしもと ひさよし)

政策研究大学院大学 名誉教授

筆者紹介の詳細は、第1回をご参照ください